始めまして、yumenoと申します。
私は半世紀生きてきました。
ブログや副業界隈のネットビジネスではかなりの高齢者ですね。
私の人生は嬉しいことも楽ししいこともおそらく、だれ以上に味わっていきました。
私の経験則をこれから思い残すことなく伝えていきます。
半世紀生きた、戦った人生は財産ですし楽しかった思い出も、辛かった思い出もたっぷりです。
本当に困ったときに読んでほしい体験談をブログでお話しします。
目次
yumenoの転職から独立子育てまで波乱丈のプロフィール
私の自己紹介をさせていただきます。
50歳?
おっさんですよね。
でもね、綺麗ごと言っている人たちよりも何より不条理な事も辛いことも、よかったことも経験しています。
yumenoの幼少期
私は農家の長男です。
父は土木作業員兼農業、母は専業主婦兼農家の手伝い。
なので、幼少期は農業の繁忙期は田んぼが私の遊び場。
GWや秋の連休などは農作業の手伝い。
家族旅行は数年に一回日帰りで行ったくらい。小学生から中学生時代
小学生の頃は野球が大好きでいつも友達と遊ぶのは野球です。
小学生の頃から運動神経抜群で、野球のスポーツ少年団に入ったらすぐに4番ピッチャー。
お山の大将でした。
yumenoの中学生時代
中学時代、もちろん野球部に入ります。
1年生から頭角を出して、すぐにレギュラーへ。
でもね、先輩たちの圧力に負けてベンチ要因。
先輩たちも認める実力でしたが、自分の心の弱さで先輩の圧力を超えられなかったです。
yumenoの高校時代
私はちょっとだけ成績もよかったので、県内でも有数の進学校を受験。
不合格でした。
幸いに、それでも文武両道の私学野球強豪校へ入学しました。
本来なら野球をやるはずが、見学に行ってビビッてしまい、帰宅部へ入部。
後に、なぜ野球やらなかったのと、同僚や先生たちから言われました。
あなたが、野球をやっていたら強豪校でもレギュラーで甲子園いってたよと今でも言われます。
幼少期から高校まで、後に先生たちや同僚たちから聞くと私が高校野球をやらなかったことへの無念の話ばかりです。
yumenoが少年時代から先生にいつも言われていた事
私は少しだけですが、器用でした。
でも、心が弱く、いつも挑戦しない少年。
先生からいつも言われていたのは、あなたは力があるのになぜやらないの?
やればできるのに、、、
そんな感じです。
とにかく、気が弱かったといいますか、できるのにやらなかった人生です。
yumenoの会社員時代
私の両親は中卒です。
その頃の、学歴による給与格差は今の比ではありません。
なので、大学への進学は両親の願い。
まじで、勉強しました。
有名大学ではありませんが、推薦入試で無事合格。
そのころ、海外へ行きたい夢があって語学留学へイギリスのケンブリッジ大学へ行かせてもらいました。
当然農家の我が家にはその費用はあるはずもなく、奨学金とバイトで貯めたお金で行きました。
そこで見た景色を当時の自分のHPに紹介しだすと、当時のヤフー検索で「芝生」というカテゴリーで1位!
とんでもないアクセスで、共感いただけたのは事実。
この頃からネットの凄さは実感していました。
大学卒業して就職したのは証券会社。
法人営業部で消耗の日々。
朝は6時に家を出て帰宅は22時を超えます。
なので、自宅にいる時間は7時間から8時間のみです。
入浴、食事をしていたら睡眠時間なんて5時間もありません。
当時新婚で子供も授かっていた私は、このような家族とまともに話す時間もない生活に疑問を感じました。
満員電車も疲れ果てました。
ここで、1度目の転職を決意しました。
転職する条件は定時帰宅できること。
家族との時間を取れることを条件として転職活動をしました。
そんななか、見つけたのが中小企業ですが事務、経理部門の幹部候補募集という案件です。
私は、営業畑なので事務経験はありません。
それでも、人生のキャリアはハッタリと言いますか、少しでもやったことを誇張して職務経歴書に記入し、面接でもアピールしました。
例としては、営業活動に使う資料作成などでパソコンスキルがあることを前面に打ち出しました。
証券会社にいると、お付き合いするお客さんは経営者や大企業であれば部長クラスです。
なので、経済の話は何とでも合わせられます。
これを利用して最終面接で経営者と経済や株の話で盛り上げました。
見事、事務職未経験で事務職幹部候補の募集に採用されました。
人生、得意な分野はハッタリでも盛りまくる事も大事と実感した経験です。
yumenoの2度目の転職
転職して5年もすると事実上経理部門のトップに抜擢されました。
部長という肩書は、周りの見る目が変わります。
取引先でも、平社員時代には見向きもされず、○○君呼ばわりだったのが部長になった瞬間様変わりです。
今まで上から目線で接してきた方が急に敬語で話しかけるようになる。
部長、部長とお土産までもって営業にやってきます。
ここで見えたのはサラリーマンの力関係は肩書です。
でも、私が本当に部長になってからも親密に付き合ったのは、平社員時代から変わらぬ態度で接してくれた人です。
皆さん経験してみてください。
ある地位になると、急に人が変わったように周りに人が集まってきます。
yumeno部長の座を捨てて3度目の転職
部長という立場でしたが、私は家庭を優先することを徹底しました。
なので、私の部署は定時帰社が絶対です。
他部署や経営者からはよくは思われていませんでしたが、一番効率的に少人数で職務を全うした自信はあります。
経営者からは、定時帰社が気に入らないのでしょう。
次第に経営者との亀裂が生じていきました。
おそらく、経営者が帰宅するまで毎日残業していれば、お気に入り社員となり取締役にもなっていたかもしれません。
私はそんな名誉より、家庭を選びました。
当時、経理より採用担当がメインになっていました。
おかげで、十数社以上の転職エージェントや転職サイト担当者とも毎日のようにやり取りして、現実の転職状況を知る事も出来ました。
採用担当していた私が、会社を辞めるとなった時、私が採用した多くの社員が涙ながらに送別会を開いてくれたのは今でも忘れません。
たかが転職です。
採用した私も、採用された社員も、想像以上に思い入れはあったようで不覚にも中年のおっさん涙してしまいました。
yumenoのネットビジネスの実績
私は会社員時代社内のネットビジネスを一人で立ち上げました。
わずか、1年で月商1,000万円までもっていけました。
戦略は、成功している企業を徹底して真似する。
でもマイナーなところで1位を取りにいく。
今思えばアフュリエイトと同じですね。
ビッグキーワードで10位以下なら、ミドルからロングテールと言われる競争相手が少ない場所で1番になる。
実はこの方が稼げることは実感しました。
yumeno人生最後の転職は独立すること
私は50歳で独立しました。
私は3人の子供を持つ家庭の大黒柱です。
でもね、人生は一度きりです。
サラリーマン時代の我慢の人生も財産ですし、人生一度は自分でチャレンジしたかったのが本音。
無謀と言われて、部長ならできると部下から言われて、悩んで、決断です。
人生うまくいかない時の方が多いです。
でもチャレンジしなかったら後悔します。
私が自分にいつも言い聞かせている事。
成功の反対は失敗ではない、チャレンジしない事。
諦めない心、根性や!
私の半世紀の経験をこのブログでは語っていきます。
少しでも、心が折れそうな時に読んでいただければ幸いですし、自分の経験は全て包み隠さずお話ししていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。